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1983年のネパール写真集(2014年一部修正)

 風が吹くと桶屋が儲かる式の話みたいですが、ピアノを嫁に出して昔の写真を・・・詳しくはひとりごと/ピアノがきっかけで書いてます。古い写真をスキャナーで取り込んでHDへ保存、DVDにも焼いておく。時間も充分有ることとて昔のネパール写真を入れ替え当時のノウトから一部文章も拾いました。
 31年前のネパール。写真が少しセピア色写真になりかけている。2001年の時と比べて町の車も少なかったし、ギヴミー1ダラーの子供もいたが文明開化の前というか山へ入ると電気も来て無くて江戸時代か明治の世の中見たい。でも日本とは違うのです子どもの目がキラキラと輝いていました。Oさんと2人の山旅です。
 トレッキングも初期の頃でまだ商業化されていず、手作りのノンビリゆっくり(ビスタリ、ビスタリ)した雰囲気を味わいました。電気もガスも無いけど医者も町まで行かないと見てもらえないけど、自給自足の生き方って素晴らしいと思った或る少し以前のネパールの写真。
 カトマンドの街も現代ほど車も多くなくて少ない、車とリキシャが半半くらいで、徐々にタクシーに変わりつつあった。今の様にスモッグとか排気ガスも気にならない。商人は目を抜かれそうにしたたかだった。
 帰ってきて一時期少しの期間何もする気も起らずに力が抜けてしまってて、ゆっくり・ビスタリに染まってた。日本人は急いで何処へ行くの??日本ではこうもせわしく生きなければならないのか疑問を持ったっていうことでしょうか?時間に追われ会社に追い使われてセカセカと、金儲けや生きていくだけに必死。物は有り余るほど有る捨てる程なのに、幸せは有り余る程もなく。


DILL BAZAR 近くのペンション・バサナに泊まっていた。

インドラチーョクの果物屋・ノラ牛もうろうろしている。
タメルかも知れない?アッサントーレの商店 祭りの山車祭りの山車

灯明を上げる人々

タメル地区内寺院


ダルバーグ広場の寺院

ダーバースクエアーの旧王宮、中は静かで涼しい撮影禁止。

4月23日ポカラトレッキング起点バーガル付近
スイケット初日の泊り。
日本のかやぶき屋根の家みたいでした。今はトタンが多い。
日本の風景と見間違う農村のたたずまいフデェイ付近かな。
グルン族のサーダー、私より若い。
サーダー「ラージ・ボクト・グルン」と管理人。

チッベタンキャンプにあるロッジ
 4月24日月曜日、トレッキング2日目:スイケットで一晩テントで泊ってから少し落ちついた。見るもの全てが珍しい楽しい。
 農家の庭には日本の柿の木の代わりにバナナが実ってるやはり亜熱帯だと思い知る。ずっと河原沿いの平坦な道を歩いて行く。
 Phedi(フェデイ)からは登り坂になり先頭のラージ・グルンは段々畑の畔道の様な所を選んで登って行く。途中に中学生くらいの子供が現れて「ワンダー・ワンダラー」と言って近ずいてきた、サーダー・ラージグルンが何かネパール語で云うと渋々離れていく。「外国の人に物ごい見たいなことしてはいけない」よって優しく云い聞かせるソフトな語感。
 登り切る手前にマチャプチャレ・ヒウンチュリ・アンナプルナサウスが顔を見せるが直に雲が掛る。
 ノーダラへ登り切ると学校の校庭にバレーのネットが有る、となりがチェックポスト。パスポートNO、行先、Annapuruna BC,サイン。
 ノーダラで昼食1時間程で出発。緩やかな道を歩いてチャンドラコットへ着く菩提樹の下で又休憩。菩提樹の下で休んでいると涼しい風が谷から吹き上げてくる。
 「チソ・ハワ」直訳すると涼しい風・と云うそうな。兎に角気持ちいい癒される。ポーター達が荷が重いから遅れてる様子。やたら風にズーット当たってたら少し寒くなるのだ。
 チャンドラコットから斜めに緩やかに降りて行く、直ぐにエクレバッテイ、今日のキャンプ地着。地図には載って無い、シャウレバザールの手前になる。
 夕方雲多くなり小雨降る。夕食はタルカリー(野菜)カリフラワーの付け合わせ。
 以後ズッーと付け合わせでカリフラワーばっかり食べていた。
 日本に帰ってからはカリフラワーが嫌いになる。

「ノーダラ」を題材に河島英五が歌を唄った場所。
チェクポストの有るノーダラ村、川沿いの道から急坂を登った。

河島英五さんがここを題材に唄を作る。

雲の上に高い。
マチャプチャレ6997m
雨の中石畳の街道を行くOさん。 石畳の登り坂が続く。
ガンドルンの手前付近結構急坂、これからずっと高度を上げていく。

ガンドルンの農家何処となく日本でも有りそうな家屋!?
 4月25日火曜日、トレッキング3日目:エクレバッティ〜ガンドルン。
天候:雨後曇り。6時起床、テントへモーニングコールが有る。熱い紅茶と洗面器が出てきてお湯を満たす。洗面器で歯磨き洗面する。紅茶とビスケット3枚食べる2枚はポケットに。ポーターさん一人帰る。
モディコーラまで下り木の橋を渡る、モディーコーラ沿いの道をしばらく歩く。そのうちに雨降り始めた通行する人もまばらになる、水牛の農民麦刈る人まれにポターにすれ違う。
 雨の為かサーダー1軒のバッテェへ入る9時昼食だと云う、もうっ?!
(バッテェ:一膳飯・お茶・飲屋を兼ねてる)。
 日本の喫茶店見たいにシャレていなくて泥臭く汚くて、でもなぜか妙にほっとする。ほっとするのはたき火の煙のせいだろうか。竃があってたき火が燃やされてる。
 
 中は真っ暗そのうち目が慣れる。竃の火の灯・まるで江戸時代か明冶初期かと考えるとここは電気が来て無い。ポカラの辺り歩き始めは電柱が立ってた様な記憶。
 早い昼食はジャガイモをゆでて貰い塩で食べる旨い、素朴な旨さです。
 歩きだし急登・急登キムチャ・キムシャかなKimshe、再度雨脚強まるバッテェで小休止、ミルクテェー甘いけど熱くておいしい、濃厚なミルクテェー、砂糖いっぱい入りミルクは山羊のミルク。裏に山羊が繋がれてし牛乳の味じゃないからそう思った。
 小雨の中歩いてガンドルンGhondrungへ急な石畳の街道が続いてる。ガンドルン小学校が見えてガンドルン着、シャンテホテル前庭にキャンプ。雲晴れず。
 その後雨が上がって学校まで行った。

PS:最近はTeebomさんでスパイス入りの紅茶を購入して飲んでる、懐かしい香りで濃厚な味が有り美味しい。
ポーター達は貧しい姿だが陽気だった。
Trekkingのメンバー達と
ガンドルン小学校女の子達・チャーミング目が素敵です。
ガンドルン小学校この後男の子に取り囲まれ「ガリ・ガリ」時計を見せろと大変。
村の子達
キャンプ地近くの子供、近くには来ない。
 2007年にポカラからプーンヒルのトレッキングに行きました。スイケットもノーダラもバスで通過して昔の恩影は探せなくて、ノーダラは村の有る丘のスグ下を通過しました藁ぶき風の屋根は消えてトタンの家が多かったような記憶です。
 スイケットの藁葺屋根もバスから探したが見当たらない。昔は歩いているとバナナが農家の庭先に実っていた。

 ガンドルンも人の通る街道の石畳は変化はありませんが、2回建の農家ばかりだったけど、最近は3階建てのロッジが幾つも出来てトレッカーを受け入れています。

 まばたきすると一日が終って居り、ちょいと炬燵でうたた寝してたら30年も経っていました。人生は時の流れるのが早い。

昔ネパール写真2

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