ヒマラヤ/エヴェレスト・カラパタール紀行後半

高度順応日背後はマダムラム
 2001年5月2日 デンボチェ村にて2度目の高度順応の為一日滞在。10時頃よりぶらぶらと全員で近くの尾根(Nagartang Peak)の途中まで登る。シェルパのラワンさんはサンダル履きで自分の裏庭を見回るように楽々先頭をピョンピョンと歩く。
 高度上がると酸素薄くなり少なくなった酸素を感じる。
 少し頭が痛いかな、最高到達点で休むうちに頭痛も消える。ローツェシャールが近くなる。写真等撮り暫く遊んでテントへ戻る。

 テントを庭に張っているロッジの道路脇にシャワー室が有ります。山から戻ると東京の娘さんそこでシャワーしてる。100ルピー(50Reだったか?)とか。シャワー室の上にバケツが有り、沸かした湯をダイ(兄さん)がバケツへ持ち上げていました。
 ガイドは「風邪を引くと治らないから皆さんはお止めになった方が良い、ヨーロッパ人は水でも平気だよ彼ら用です」と云う。娘さん2回お湯を入れてもらった、「熱くて気持ち良かったわ」と。そんな元気は無いです。
 ロッジのメニュウ、Tea 15R/ Nodle 60R/ Piza 125R/ 我我はコックさんの作ってくれた夕飯と紅茶。食後皆さんストーブの周りに集まり談笑、風邪気味とごく軽い高度障害か自分は元気無く早めにテントへ戻りシュラフへ潜り込む。
直下を見下ろすと
 5月3日 快晴。デンボチェよりロブチェへはゆっくりとてもゆっくり歩いて行く。付近はカルカ(石で囲った放牧地)も有る平らな登りで、雨季にはここは緑一面になるそうな。
 廻りを見ながらてくてく行くと後ろから街中を走るように歩く白人の一団にアッという間に追い越される。エヴェレスト登山アタック隊との事。デンボチェで休養してからアタック体制に入るとの話でしたスゴイ!。
出発前のヤク牛 カンテガとタムセルク
カンテガとタムセルクと流域 ヌプチェ
 Lobucheロブチェ(4910m)着13時10分小雪舞う寒い。テント泊なので寒く冷えるので羽毛服を出して着る。東京の娘は雪のテントは敬遠してロッジ泊する。気儘な子だ暖かくて良いだろうな。ロッジの薪ストーブに当たりながら、クーンブ氷河の上を夕日が差し掛かるのを窓から眺める。
 ヌプチェがガスの中から出てくる。奈良のご婦人が誕生日との事で夕食後デザートにケーキが出てくる。ご本人は食べられない様子でどうも高山病らしい。前日もご主人が靴を履かせて上げていた自分で履くのが難しい様子だ、ご主人が優しくて見ててもいいね。
 ここまで上がると幾人かは食事が進まない。今日は自分はまあまあなんとか美味しく食べている。昨日は余り体調は良くなかったが、体調が戻った様子です。
5月3日泊ロビチェロッジとヌプチェ

ガスが切れて来た、サガルマーターとシェルパが叫ぶ劇的出合い。
 5月4日 積雪2センチ4時起床、紅茶。5時10分出發、小雪視界無し。クーンブ氷河の灰色の氷が見える。
  Goraku Shepゴラクシェブ(5140m)着8:10〜8:45、視界は無いがとにかくKala Pattharカラパタール(5545m)へ向かう。5545mは急な行動をすると息が切れる。歩いてもなかなか着かない。立ち止まり深呼吸又歩く歩き乍深呼吸をする。シェルパ・ラワンと先行3人自分を含めて、Kala Pattharカラパタール(5545m)10:45着「ヤッター」がガスで何も見えない足元には昨夜の雪で小寒い。後続の人々は遅れるているので、先着の3人で交替で雪が付いて滑り怖い山頂へ登る。ピークは槍の穂先より狭く切立った岩で、交代で巻かれた山頂の岩のタルチョー(魔除けの旗)にタッチする。 
 シェルパが靴を押さえてくれているので深く感謝する。後日皆とは別に別に少しチップを渡す。何時までも視界無し。風が出て後続を待つ内に寒くなる。
 ますます風が出てきたのでより寒さを感じる。待つこと30分でガスちぎれちぎれして、シェルパが「Sagarmathaサガルマータ(8848m)」と指さした。エッ・・・指の先よりもっと高い所に・ガスの中エヴェレスト劇的出合い。
カラパタールにて プモリ方面へ続く稜線
ゴラクシェップのロッジ前


 5月5日 こどもの日、ロブチェから積雪3cm程の道を雪で滑らないように慎重にバンボチェへ下る。下るにつれて春の雪は消える。周りの景色・山ばかりだが写真を撮りながら下る。デンボチェへの道と違う川原の道を
歩く。ヘリコプターが飛んでいた。Phericheペリチェ(4240m)で昼食を取る。
 後はたらたら平坦な道をのんびり下っていく。思う以上に皆さん足取りは軽いPangboche(3930m)パンボチェゴンパ。

   ロッジ。メニュ- Tea15R、MilkTea 20R、Coke 180R、サンミゲルBer200R、ライカレー50R、Nodle90R、Singl110R、Double120Rでした。参考までにメモ帳に書き留める。
下山するメンバー ペリチェ付近のサーダー・後はアマダムラブ
新雪の道を下山して行く バンボチェのテントから間上にカンテガ
アマダムラム(拡大)
 5月6日 パンボチェ〜タンボチェ〜Khumjungクムジュン(3753m)着、14:20.クムジュン泊。ロッジのビールで乾杯。下りなので飲んでばかりです幸せだな。 ビール1本160Rになる、2人で4本飲む。クムジュンゴンパに雪男の頭の皮を見に行く。途中に水場、チョロチョロしか出ていない。20Lのポリタンに貯めるのは大変な様子、ポータさん達が汲みにきてる。
タムセルク・エヴェレスト・ビューホテルテラスにて。eberesuto ホテル・エヴェレストビュー・テラスよりアマダムラム
 5月7日 クムジュンよりエヴェレストビューホテル(3859m)へ向かう・ここからホテルの丘へ向かい少し登る、このホテルの水はクムジュンより毎日運んでいるそうな。もちろん人の肩に背負われて運ばれる。だからヨローパ並の高額で大変贅沢なホテルのようだ。ホテルはシラビソの森に囲まれた石組の2階建で、部屋の窓や・テラスからエヴェレストが見えるのが有名なホテル。ホテルに入りテラスへ、景色は抜群のテータイムだ又来たいと思わせるテラスだ。生憎チョモランマはガスの中だがローツェが見える・タンボチェも、自分が歩いて来たコースが見られて最高だ。カルストバーグ(200R)でFさんと乾杯。楽しい時間を過ごしボチボチとナムチェへ降りて行く。
 ナムチェで買い物、値段が有って無いのか駆け引きが楽しい。
クーンビラと街道。 エヴェレスト街道
 5月8日 ルクラへ〜下山。ルクラに着いて、夕食前ガイドさん申し出で「要らなくなった靴下・シャツ等をシェルパに提供して下さい」と大きな袋を廻す、古くなって汚れて嵩張る羽毛服を出す。チップ(現金)も集める。気持ちで好いから???
 昔20年前は現地ガイド・ポーターに直接渡さないで下さいと、注意された。「要らないから捨てくれ」と云って渡せと現地エージェントから云われた「チップの形でネパールの物価を上げるな!」とも云われたが今は天地の開きがある。
 ガイドは毛の靴下をその為・渡す為に持ってきているみたい。
 色々あって最終のキャンプ、打ち上げパーテー。トレッキングのパーテー全員がシェルパ・コック・ポーターさん現地側を招待して、チャン(現地どぶろく・白い液体まだスッパイ)・ロキシーをツアーリダーが振舞う。日本人は、お金を出して買ったビールの後はロキシー・飲む人。チャンすする人。チャンはスッパイ味。酔うほどに幸せ。シェルパダンスで盛り上がる。恥ずかしいかな盆踊りで対抗、シェルパダンスに参加しっかり酔いが廻り良く眠れる。夜半から雨期の始まりを思わせる強い雨音。
ルクラの街角 お別れのパーテー
ポ^ターさん達 ポ^ターさん達A

 5月9日 夜が明けたが雨とガス。ヘリ飛ぶかしら、朝食後、サーダーからメンバー一人一人にカタ(魔除けの布)を肩から掛けてもらう。旅の安全と又ネパールへ帰ってきて、カタを寺院に奉納すると幸せを得られるそうな。
 8:00第1便すんなり出発その後ガスが湧いてきたので出發延期。

 2便8:30対岸の山見えて出發。ツアーリダーと共に半分出發。次は自分達だが又ガスと雨で飛べない。
 倉庫みたいなルクラ空港では寒く、残った半分の仲間と空港横のロッジへお茶しに移動する。ヘリのプロペラの音も途絶えて静かだ。お茶とストーブで温まりうとうと今日は又テントへも戻るのか。
 ヘリが飛ばなければ、新規のトレッカーもやって来れないし、色々考えて残った8人は不安と、他力本願・何とかなるかな?どうにかなるねとネパール風雰囲気。
 やがてガス消えて、対岸の山見えてきた、11:45どうにかヘリが出發する。
 ヘリがやけに長く飛ぶ12:05降りた所は何処?パプルーと違う。それにやけに暑い先に出たメンバーが誰もいない。周りには町も売店も無い農家がチラホラ。ラミランダ空港らしい。
急に暑くなったラミランダ空港 帰る飛行機が来た
飛行場隣の農家 ジャカランダ
 皆さん雨具、防寒着、脱いで半袖でOK。皆んなボウーとしてるすること無いからね。空港から隣の家が見える。その後ルクラ空港は雷雨で閉鎖とのこと。そして待つこと30分Yeti Airlines飛行機着、カトマンズ空港へ13:20着。王室用の空港施設の中に、紫の花の大木が有り。訊くとジャカランダ。
行く時は咲いていなかった。エージェントの迎えでホテルへ帰り一安心。シャワーの後、観光を兼ね外出少し歩きアンナプルナホテルの近くの日本食堂で夕食懐かしく旨い。
スワヤンブナートにて
 5月10日 一日フリータイム・カトマンズ市内観光。他メンバーは、オプショナルツアー行く人・マウンテンフライト行く人それぞれ。Fさんと二人、ホテルの人に目玉寺まで幾ら(150Rs)掛かるか聞いてから、タクシー呼んでもらう。
 タクシーで目玉寺へ行く。もう暑くて半ズボン・帽子が必要な位。ゲートで入場料(50Rs)を払い中へ。20年前は何も払わなかったし、ネパール人は払わない。

 他の入り口からでもどしどし入ってくる。ネパール人から取らず外国人だけ取るみたい。
 記念写真、寺の周りをマニ車を廻して歩く。出店を冷やかして回る、数珠を値切って買った(25Rs)。寺の入り口でタクシーに200Rsで交渉してからパタンへ行く(メータを止めてしまうから)。 途中トロリーバスが走っている。
パタン王宮内 パタンの仏像
 パタンを観光。又入り口で、係りの人に入場料200Rsを取られる。パタンは昔のカトマンズの様に落ちついた町でしっとりした感じです。2〜3日パタンでゆっくり過ごしても飽きないかな。埃も少ない。雨で埃抑えられている。少し前にパタン・クマリの祭りが有ったので、道に山車が置いたままです。
 自分達はレストラン・カフェドパタンの屋上でビールと昼食。食事中に俄か雨、屋根の下へ避難する。食事2人分780Rs旨いし安い。ビールも飲んだのに。食後又、ぶらぶら歩く。土産に目玉の刺繍が有るティシャツを買う。パタンはトイレが見つからないのが大変でした。パタンの入り口に有りました。
 入り口でアマ(オカアチャン)にチップを請求されますが、無視・・・やれば良かったかも、公衆トイレでしたが。hotelヒマラヤの前からアンナプルナhotelまでタクシー150RSで戻る。
 スーパーへ寄ってでエヴェレストウイスキーを土産に買う。王宮前を通りhotelへ戻る。シャワー後ホテル近くのレストラン華でビールと夕食。
 参考までに2001年のネパールの物価タクシー代金等書き出しました。山中のビール代金は下るに連れ安くなりました。当時1ルピー約2円でした。

 帰国してから暫くして、ビレンドラ国王夫妻等のご不幸があり、ご冥福をお祈りします。カトマンズでは王宮の300mほど北のホテルに宿泊しており、警備の衛兵の立つ王宮の正門前や西門・塀の脇を2・3日間でしたが朝、昼、夜、観光、買い物・食事とウロウロと歩いていました。しかし庭が広くて中を伺い知ることは出来ませんでした。
パタンの山車 パタンの街角

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