H13年4月24日〜とらさんのヒマラヤラ紀行前半(ルクラからナムチェバザール〜タンボチェゴンパ)

急な坂道を上がった所よりエヴェレスト遠望
 2001年春ゴールデンウィーク。名古屋からバンコク経由で、ネパールカンマンズへ。バンコクでメンバー15人集合。
東京、大阪、福岡より。
 2001年4月25日、20年振りのネパール・カトマンズへ着く、リキシャが少なくなって車やタクシーが増えた、排気ガスとクラクション。バンコクか東南アジアの町角みたいだ。明日からトレッキングへ出發。
パプルー飛行場 後ろの山はヌングール。 ルクラ飛行場
 4月26日 20年前のカトマンズと比べて、車ばかりが増えリキシャが居ない、居るのはキンキラキンの観光用リキシャ白人がたまに乗っている。車が増えた分排気ガスが盆地の中に溜まってスモッグ状に?煙って見える。空港税165Rマイクロバスの中でツアーリーダ島方さんが集める。曇って飛ぶか心配でしたが、フライト有り。
 Yeti.AirLines空へ上がると上は青空です。人乗りプロペラの飛行機でルクラへ向かう。もちろん左側の席へ。スチュワーデスが飴と耳穿の綿を呉れる。操縦席のドアを開けて前方を見せてくれる、轟音の中ヒマラヤを見ながら尾根のすれすれを飛ぶと途中のパプルーへ。土の飛行場へ降りる。パプルーにて飛行機から自分の荷物が出てこんよ?待つこと30分次の便が着て、そして荷が出てきた。始めて乗る9人乗りヘリコプターでルクラ。
トレッキングエージェントのキャンプサイト ルクラからエvレスト街道を行く。
 エヴェレスト街道の入り口LUKLAルクラ(2850m)はアスファルトの舗装中で飛行機は降りられないそうな。 ロシアンヘリが居る。降りるとシェルパの出迎え。皆のザックやバックは誰か持っていくので、ごった返す。 
 エージェントのキャンプサイトでお茶。主要メンバーの紹介。シェルパ頭(サーダー)パサン・オンチ。コック・アン・ペンパ。トップ・シェルパ・ラワン・ランゲテイ。紹介されたがまだ誰が誰だか判らない。ツアー全体のメンバーを見るのに、ゆっくり最後尾をFさんと歩いて行くと、背後には無名峰・4000mは有りそうなのに名が無いみたい。日本の槍(KusumKangura South?)に似てるに・まだ日本から抜け出ていない。農村地帯なので畑の麦が風に波打って行く、気持ちいい風が吹いている。キョロキョロして歩いていく大きな岩に字が書かれている、タドコシで昼食。タルチョウーの巻かれた大吊橋を渡り大きい綺麗なホテルの前を通る(パクディン)。パクディンには大きなホテルが有り白人等が多く泊っている、結構リゾートホテル風。
麦畑 マニ石と街道
 谷が狭く迫ってくるとToktokトクトク着、テント泊。テントの先の建物がロッジで、そのランプなのか暗い中での夕食。夜小雨寒、本当に真っ暗な電気の無い世界。その後夜半より星空。
モンジョに有るチェックポストのゲート、ナショナルパークへ入る入場料を払う。 トクトクノキャンプ場とYさん
 4月27日  トップシェルパ、アン・ダワが歩き始めてから、1時間程でBengkarベンカール着。休憩ロッジのトイレ、一応水洗、トイレから外を見ると畑・畑から川へ流す仕組み。街道脇にリンゴの樹が有る、少し行くとMonjo・モンジョには軍隊のチェックポスト、兵隊サンが銃を持って警備中、カンパ(チベット人?)が暴れたらしいとのこと。
 サガルマータ国立公園入山料必要1000Rs。我々はカトマンズで支払済みとのことパスポートを提示して通過。ネパール人はそのまま通過していく。
 ドードコシの河原で昼食、パラータ(小麦粉を水で練ってフライパンで焼いた)にジャムつけるのがおいしい。皆さん2〜3枚は頂く。食後ここからナムチェバザールへの急登汗が出る。途中松の切れた所から谷沿いに北を見るとエヴェレストが小さく見える、ややっと感激する。  
2:00Namche Bazaarナムチェゲート。道の左側にネパールの国鳥ダフェが歩いているのが見える、羽の色が孔雀のように美しい。写真を撮ろうとすると飛んで行ってしまう。ナムチェバザール(3440m)街中の売店が連なる村の繁華街のロッジの裏庭に入り込みテント泊。
 正面にコンデ・リ。 後で西のシャンボチェ側の道を登る。Thamserkuタムセルク(6618m)が高く聳える。
ナムチェバザール・ゲート ナムチェバザール到着。
ナムチェバザール朝 west Summitかクスムカングルーの尾根か
 4月28日 ナムチェ滞在高度順応日。 快晴、アーミーキャンプ地の横を辿り展望台へ、エヴェレスト、ローチェ、アマダムラム等、山山をグルット見回しその後、バザールを見学。土曜日でバザール開いている。鶏、卵、酒、コーラ、米、豆、靴、衣類、生活必需品。人人で土地が狭い所へ人々でゴッタ返している。自分達は買う物も無いがうろうろと買い物客と売り手の遣り取りを見学する。わーって感じでお祭りみたいです。
 夕食カレー(兎に角カレーばかり)、モモ、野菜煮、トマト煮、味噌汁。メンバーの奥様方へ、ディデー・ディデー(娘さん)とキッチンボーイが皿へ盛りたがるが、余り食事が進まない。無理はしない「プギョ・プギョ」とお断り。高山病の症状が少し出ている。一人東京の娘ディデーは大丈夫でお変わりしている。自分も食べ過ぎて、胃薬服用。ダイモックスという高山病予防の薬を飲んでみえるが、どうだろうか。
 自分もためしに半錠飲んだ、夜中にトイレに5回起きる。少し異常なり利尿作用がすごく強い。普通は1〜2回。身体の新陳代謝を良くする為にスープ、紅茶、お茶等の水分を沢山充分過ぎる程も採る。すると1日2リットル以上の水分の補給を要する也。副作用として夜中トイレに目覚めてばかりで眠られないのでした。
ナムチャから西に見える山パクチャクか キャンプ地より西南を見る
 4月29日 村を出て平坦道をSangasaサーナサへ向かう。アイリス、紫の豆科の花が咲く。突如左上からマンテンゴード/カモシカの仲間が飛び出してきた。サーナサ付近ラリーグラス(石楠花)が鈴なり、ピンク、紅。タムセルク高い。
 11:00Lusiyasaローシャサ着。ここで昼食、食後もう歩かないで今日のテント場也。昼食後テントでくつろぐ、スケッチする。皆さん散歩や散策。
 夕食に現地の茹でたジャガイモを塩をつけて頂く、小粒ですがほんのり甘く美味しい。
 タムセルクが正面にある。夜はやはり冷え込む。Fさん下痢気味。ロッジのトイレどこでもトイレ。夜はライト要す・落ちそうで怖いそうな。
タムセルク サーサナからのアマダムラム
カンテガ タムセルク・タンボチェゲートにて
 4月30日 ローシャサよりPhunki Tengaブンギテンカ3250mへ下る。石楠花は盛りを過ぎている。水力で回るマニ車有り水量が多く廻る速度が速い。奥にアーミーのサイト有り。Y大人が顔色が悪い、朝から無理をして食べ過ぎたのか辛そうな。
 若い女のヤク使いがヤク2頭と登っていく皆山側へ避ける、谷側だとヤクの積んでる荷物ははみ出してるから押されて谷へ落ちてしまう要注意。石楠花が咲く道をゆっくりTengbocheタンボチェ(3860m)へ登る10:30着。
 昼食後高度を上げる東側の(4198m)の尾根へ登る。ゴンパが小さく見える。風有、曇って肌寒い。
タンボシェゴンパ ゴンパ(御寺)で読経が行われる。

 5月1日になり月が変わった、キッチンで湯を沸かす音に目を覚ます。ゴンパは早朝より読経、鐘・ほら貝の音。朝食後晴れてきた。タムセルクが美しい。道の両側の石楠花の森は蕾帰路にはまだ咲かないどろうか。
 マニ石の有る気持ちの好い道。背後にクワンデ(コンデ・リ)が美しい。  Shomareショモレで昼食。4000m超えたので息を意識して少し吸う気持ちになる、寒風吹き寒くなる雨具を防寒で着る、少し高山病に掛かりかけてるのか体調が下降気味食欲が無くなる。間近に雲流れる。

 Tawocheタウチェ(6542m)が逆立つように見える。ショモレの子供2人付いてきてザックの紐を軽く引っ張る、そしてマニー・マネーと言う。ジャウ!(行け)と追い払うが、ここらの子供が少し擦れていて(貧しいからか)又トレッカーが多いのだからか・日本人だからか・と考えされる。 
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タンボチェからのタムセルク タンボチャの東尾根・昨日登った
エヴェレスト遠望 振り返るとコンデリ
アマダムラム パンボチェ下村とアマダムラム
チョルテンとアマダムラム 憧憬の地 タウチェが坂立つように近ずく。
ストッーパとアマダムラム
 13:40Dingbocheデンボチェチ(4410m)着。風とガスで寒いよ。ますます元気が落ちてきた。4000mを超えたからか高山病の軽度なものになる。高山病なら少し動いて順応しようと、到着後寒風の中を散策する。寒いのと風邪を引いたのか体調悪くなる、小寒くてどうも弱い高山病の症状が出てきた。他の人ともあまりおしゃべりをしたい気分ではなくなるのです。
 デンボチェ・ストウーパとAma Mablm(6814m)アマ・ダムラムガスの中に美しいこの世の物とも思えず。
アマダムラムと雲流れ行く。 デンボチェキャンプサイトよりロッーチェ
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