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知多四国巡礼編第3回目

 2019年4月6日 天候:晴春うらら、暖か寒く無くて良い日より。予定は13番から17番,。変則でしたが5ケ寺廻って来ました。家康公御生母・於大さん菩提寺も行く。1年振り知多四国へ。順序15番東雲院~16番平泉寺~17番観音寺~13番安楽寺~14番興昌寺。
 平坦地ばかりですから たくさん歩いたけど歩数は17884歩、犬の散歩を入れるとゆうに20000歩超え、最近は長距離歩いてないから疲れたのです。
 金山駅で山友(ツレ)と待ち合わせ河和行きの急行へ乗った。乗換案内の声が小さかったか聞き漏らしてしゃべってる間にagui~「えっ阿久比駅だ」慌てて下車。
 板部駅で下車しないといけなかったのだが乗ったのが急行でした。「戻るか?」「このまま16番から行こう」と歩き出します。地図見て線路沿いを南下。20分余りで16番の案内板見つける。
 16番平泉寺・本堂太子堂とお経を上げて納経帳にご朱印を頂く。「おきおつけて行ってください~」と奥様に云われる。トイレに入って~と出てくると中型か小型のバスが横ずけ。(何だ何だ?)と心の中で思う。
 ゾロゾロと白衣を着た人そうでない普段着お遍路さんが出てきます。「わ~」と驚いて「次へ行こう」。「知多四国廻り 知多バス」の案内板が掛かってる。
 600m8分だけど信号渡ったりして少し高台方面へ歩いて行く。畑の横から地図で17番方向を見ると桜の樹と大きな屋根が見える。あの辺だな~どうやって行くんだろう?。  

 2度3度と道を曲って歩いて行くと桜の樹の下に拾七番札所の碑見つける。うんバスも車も止まってる「アレッさっきのバスだ。早や~」。17番観音寺さんへ着くとどどっと先ほどの団体さん出てきます。入れ替わりに参拝ご朱印を頂き出てくると、広めの道が下ってる歩いて行くとあらま~さっきの16番手前です、車道の方が近いんだ。
知多四国拾五番札所 久松寺 洞雲院
 広い道を北上していきます、町役場の前を通り洞雲院の標識が有る、おっ於大様菩提寺と有ります。
 15番久松寺 洞雲院は飛びぬけて立派 大きい~寄付多そう。
 家康公(権現様)の生母於大の墓というか菩提寺であります 髪が分祀しされているそうです。久松家の慕陵の少し手前と云うか下の方には、墓の大きさが庶民の物よりはちょっと規模が広め大き目の墓が多く立って居ります。御家来衆の家なのかな?。
 お墓というかお寺さんが久松・松平家の建立なのですね。於大さんの周りは皆久松家。久松家は云わずと知れた於大の方様(伝通院)が再婚したお相手の家です。いや~凄く歴史感じます、面白いです。キチンと実在で今も残ってるんですね~。
 以前信長公の妻、帰蝶さんじゃないほう、生駒吉乃さんの菩提寺・江南久昌寺ヘ行ったこと有りますが、当時はどれか判りませんでした。今でこそネットで調べるとなんでも出てきますね~。俺らは歴史の上に生きている。
 今日の歩行数20645歩。
  15番が済んで丁度昼時なので駅近のスパゲティー屋へ入ります。ランチとコーヒー。山とちがうね~魔法瓶も持ってるコーヒーも持ってるけど出る幕は無。
 14番興昌寺へ向かう。
 今日は他のお遍路さんにも沢山出合った、バスの団体さんや14番興昌寺でお話した年配のおとうさん。お経が無茶苦茶上手い堂に入っている本職?。「凄いお上手ですね~」って云うたら「30回は廻ってるもうご朱印押すとこないんだわ~」と、自分「そりゃあ~凄い、健康じゃないと無理ですからね~」とか云ったら。
 「どこか悪いの?」聞かれたんで、「腰椎スベリ症で座骨神経痛」・と云ったら周りのご婦人方の一人が「ホント痛ったいからね~」と。おとうさん「また何時か向こうで会いましょう~」って云われて帰って行かれた。向こうは彼岸の事。ご婦人は実感こもってるから経験したんだ。

 30代かな杖付いて白の袋持った人。中高年同年代の白衣着て袋と杖持った方。同年台の歩き遍路男性2人連れ。車で廻ってる同年代のご夫婦。他にも車の方は沢山見かけた。何でこうも遍路さん多いのか?春だからか~。
 その後13番札所安楽寺へ。まだ山が歩けてないです。
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