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H21年1月12日鈴鹿・霊仙山(1083.5m)

霊仙山三角点と琵琶湖。
 今年最初の山は単独行、山スキー板を担いて滑れる所まで上がる。今日は一日中風も強く寒い日でした。朝からぼたん雪が舞う自宅からすでに4WDを入れて高速へ。
 先日1月3日の遭難騒ぎが有ったので余程積雪が多いだろうと勇んで来ましたが少ない、雪は融けたのか? 
 見晴らし台から雪が深くなるがトレースを踏んで行く、道を外すと膝まで有り50センチ程か。お猿岩まで先行者に付いて歩く、お猿岩から登山道から外れ、風が強いので木立の所までズボッズボッと嵌り乍行きます、でスキー板を付ける。寒さと強風対策でマウンティンパーカーと手袋を暖かい物に換える。
 山頂は風の吹き晒しでカメラを撮るのに手袋を脱ぐと指が痛い。
 
カナヤ冬季閉鎖中。 黒い雲が押し寄せる。
 醒井養鱒場辺りでは道路に薄く雪が付いていてスリップしないように緩く進む。槫ケ畑まで車で入れると云うことは積雪量は少ない。車が一台止まっている、3名程の登山靴の後(下山して見えたら4名)、板をザックに縛り進んで行くトレースが有るので心強いですね、勿論1人でも平気ですが。積雪は最近ではH18年の時が多い記憶です。あの時は醒井養鱒場から歩きだしました、林道に雪の重みで倒れた杉の木が多かった。
 昔の事で恐縮ですが・・・もっと昔20歳位の時だから40年も近い前1月15日の思い出、Y先輩以下仲間4~5人・バスが雪で運休の為醒井駅から歩きだした。周りは信州の白馬か飯山付近の風景になっており2本付いた車の轍を養鱒場へ歩いていった。カナヤへ着いたのは正午を回っていた。そこから見晴らし台まで上がった記憶です、汗ふき峠から上は多い所で胸まで有る重い雪のラッセルでした。3時に見晴らし台でそこで時間切れで下山しました。家々の灯が灯る中疲れでトボトボと雪の道を駅まで帰りました。あの時が霊仙で雪が一番多い思い出。
 カナヤ、冬季閉鎖中で無人です、少し後に2名の方が続いてます。見晴台で小休止琵琶湖が見えてきました。挨拶して雪が少ない話になる、自分「遭難騒ぎが有ったのでもっと雪が多いと思った」2名の方「少ないですね・雪洞作れる位の人で遭難はちょっと納得いかないですね」自分「ここで遭難はどうしたものですかね」。「何時も山スキーですか?」「いえ年末藤原はわかんでした・藪スキーを滑りたくて」。
 2名の方に先を歩いていただく、見晴台から雪が深くなるがトレースを踏んで行く、道を外すと膝まで有り50センチ程か。
 歩き出すと西から黒い雲が押し寄せてくる。直にガスの中を歩くようになる。
ガスの中先を行く登山者
 お猿岩まで先行者に付いて歩く、お猿岩から登山道から外れ、風が強くて寒いので木立の所までズボッズボッと嵌り乍行きます、で寒さと強風対策でマウンティンパーカーと手袋を暖かい物に換える、そしてスキー板を付ける。ガスの中4名の登山者が降りて行く。
 これで何処でも歩く事が出来るのと、板を外ししたのでザックが軽くて順調です。寒い風は背中に受けて好きなコースを通り斜め上方の山頂目指して登って行く。
 美しい樹氷の森の中を、歩き易い木の間を選んで歩いていきます。樹に氷の花が咲いているような森です。
西南尾根
山頂と雪庇。
 少しばててきた頃に樹氷の上に岩らしきものが見える。後5分ほどで山頂です。山頂に着く誰も居なくて先行者がエビノシッポを落とした標柱と三角点「霊仙山(地図)」ここは何時も風の吹き晒しでカメラを撮るのに手袋を脱ぐと指が痛い。ツエルトを出して風でバタバたいう中で行動食を食べ休む。雲が切れて視界が良くなるがとても寒くて長居が出来ない。薄い手袋でシールを外し滑る準備をすると温まった指先が又痛くなる。岩の出ている斜面を通り藪も出ている所を滑る。雪面の固い場所と吹き溜りの重い雪が有る。雪の重い所で転ぶ。後はまあまあ滑れてお猿岩を目指す、コースは短いけど概ね気持ち良く滑れた。

 下るに連れて雲が切れて青空が覗く、綺麗な樹氷です。登る時のガスの景色と格段の差が有る。
陽が出てきた。
お猿岩から琵琶湖。
 登山口8:40~槫ヶ畑カナヤ~9:10汗ふき峠~9:56見晴台10:05~10:40お猿岩~11:40霊仙山12:10~
 12:40お猿岩13:20~14:13登山口

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