1971年・槍ヶ岳・穂高の思い出〜

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槍ヶ岳までの思い出

 1970年(S45年)は鈴鹿6月藤原。71年(S46年)3月鎌・4月霊仙山・5月御池岳・6月釈迦ヶ岳・7月御岳山Y内君と田の原から剣ヶ峰旭館へ翌日ガスと残雪で登山道ルート不明で判り辛いので心細い(初心者やったんだ)、二の池から魔利支天・五の池、そして濁河温泉へ下山。道の左側の旅館の露天温泉に入る。
 7月再び御岳山。夜行同行T君、黒沢口・千本松より石室小屋、夜明け前、山の上部に掛かっている雪がボッート明るい。二の池。二度目運良くガス晴れて見晴らしは最高でした。山頂風強く寒い。田の原へ下る。

 1971年の出来事、大久保清逮捕、雫石上空で自衛隊機と全日空機衝突。

S46年 7月槍ヶ岳

槍ケ岳
 1971年7月19日メンバーY内君と夜行で松本へ。
 7月20日電車とバスを乗り継ぎ始めて上高地へ到着。河童橋より朝の穂高を見る。横尾にて前穂高く背に写真撮る。槍沢小屋後へテント泊。満天の星。もうこの頃から槍沢の水汚染されていると聞いた。沢を渡り横尾尾根側の沢より水を汲む。

 7月21日うす曇り、蒸し暑い。槍沢急で雪渓とお花畑だ。小屋と槍の鞍部は風がゴーゴー吹いている。槍の頂上へ、最後の詰め岩に鎖の冷たさがジィインとくる。今俺は登りつつあるぞ、以外に苦しまずに登る。山頂は絶景である。富士・南ア・立山・鹿島槍・そして御岳。360度展望。横尾まで下山。テント泊。
 7月22日帰名。



S46年 8月穂高

前穂にて
 上は前穂の写真。
 1971年(S46年)8月15日お盆休み。前夜発。メンバーY内君自分。8月15日晴後曇松本より松電・バスを乗り継ぎ上高地バスターミナル6:16。登山者の列が続く。
 明神小屋6:52。通過、徳沢で缶詰の蜜マメを食う7:40〜7:55。梓川沿いを歩き、
 横尾845〜9:00。
 晴れよりだんだん雲多くなる。風無く涸沢谷歩くほどに暑い。
 涸沢12:05到着後テント張ってから眠いので昼寝。 
 8月16日、ガス後雨その後ガス。涸沢5:30。北穂へ7:30〜8:15。北穂から涸沢岳へ向かう縦走路でブロッケンを見る。ガスの中西側に出た自分の影に陽の輪が写る。この日はガスが多い。穂高山荘10:15〜10:45視界手前の岩まで。奥穂・前穂もガスの中。奥穂の手前10分ほどで雨。稜線の為西風強く下から雨が来る。ポンチョだけでは濡れる。
 奥穂11:15〜12:05。新道分岐12:10。前穂12:35〜13:00.〜15:15穂高山荘15:30。
 涸沢16:30テント撤収17:00。まだ明るいのでドンドン下山する。屏風岩下の水場18:00。
 横尾谷の森に入ると暗く感じる。樹の根などにつまずかないよう必死に歩く。ようやくフラフラになった頃橋を渡ると明るい電灯の点いた横尾小屋19:10だった。足の両小指に豆が出来て、それが潰れて痛い。又右膝を岩で打った跡が痛む。ずうずうしくも隣のテントの女の子達にオカズとスイカを差し入れてもらう。「わーオイシソウ」とY内君か自分か忘れたが言ったみたいだ。どうも最終日なので米しか持っていなかった・あのころは貧しかった。
 8月17日、曇り後晴。横尾7:00〜徳沢7:45.穂高の山腹以上はガスに覆われて見えない。明神8:30〜8:50。ガスが上り上高地では前穂・吊尾根・奥穂が見える。上高地9:40。タクシーを乗り合いで松本へ。松本駅前に荷物を置いて松本城へ行く。上は網シャツ着てサンダル履いて歩いて行った。

この年(S46年)の秋、御在所・富士山・国見岳・藤原・銚子谷・銚子谷と静ヶ岳と歩き廻る。富士山以外は単独行。年間30日程は山へ入っていたような気がする。


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