1979年〜82年(昭和54〜57年)白馬大池・山スキーの思い出

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1979年(S54年)3月下旬、白馬大池より蓮華温泉〜木地屋

白馬大池山荘前で雪洞堀。
 豊田WGのOさん・S藤さんとI君と若き頃の管理人で、まだ1979年3月下旬春スキーのスキーヤーが滑るゲレンデを後に、早大小屋・成城大学小屋を過ぎて急な斜面をシールを利かして登る。初日は天気が良くて汗を流す、上へ出るとだだっ広い天狗原で一面平坦な所です。吹雪かれたならちと歩けそうに無い。祠が一つポツンと有る。正面が南を向いている、ゲレンデの方だ。再び急斜面を登ると乗鞍岳何処が山頂だか平坦でとぼとぼ歩く。

 屋根まで雪に閉ざされた小屋の前に荷物をデポする。低気圧が近ずくのでリーダーのOさんがここ泊まりに決める。小蓮華の手前2612mまで登りスキーで遊ぶ、その後雪洞堀。
 翌日吹雪停滞。シュラフがシケッぽい。

 3日目朝から好天、白馬乗鞍からスキーで滑る、始めの急斜面は昨日の悪天でアイスバーンS藤さん1番で滑降、Oさんいきなり転倒です、少し始めはビビリ乍滑る。斜面のシュカブラが波を打ち激しく板を振動させる。天狗原へ降りずに左手のU字になって見える沢へ滑り込む。広過ぎてターンすると止まりそうで真直ぐに谷なりに滑る、気持ち良い。

 蓮華温泉への道を左に見て林道を木地屋へ滑る、平坦に成ると雪が重く滑るより歩く感じ。朝の8時から滑り初めて1時まで、雪の消える所まで滑る。2400mから650m付近標高差1700m余り滑る。かなりのロングコース。

 

1981年(S56年)焼山〜金山〜天狗原山

焼山と真川沿いに進む
天狗原山の山頂付近・今夜の設営地に到着。消耗してるよ。
 81年5月、S藤さんと管理人。妙高笹ヶ峰から入山。杉野沢橋を渡り真川を北へ向かい焼山を目指し進む、正面には焼山の丸い山形が見える。尾根に取り付き急斜面を苦労して這い登り、焼の裾を強風に煽られてのろのろ進む。2日目はガスで視界悪く地図と高度計を見ながら進む。尾根通しに裏金山〜金山〜天狗原山で設営。
 夜、ガスコンロを給油しようとしてバルブを開けた時、中の芯綿が飛び出してしまう。で湯を沸かせず翌日撤退する羽目に。

 天狗原山から滑降する、雪庇が伸びて3階建のビル位有るブロックが落ちかかる下をエイヤーッと横沢へ滑る、始めは気持ち良く滑った。やはり谷を下り過ぎて滝音で再び尾根まで登り返すはめに、バテバテで遅れる。尾根は雪が腐って滑れない。やっとの思いで小谷温泉へ下山して湯につかる。
 温泉に入らして貰う、出てからのビールの旨い事とこごみを出して貰いこれも旨い。朝から行動食しか食べてないからかな。
天狗原山にて設営
金山と左は昼闇山か

1982年 火打山

 82年5月連休火打へ、S藤・I原さんと3人で行く。笹ヶ峰への道が連休前に除雪されて開く、笹ヶ峰の終点まで車で入り設営、翌日黒沢コースで富士見平らまで上がる、下り口に竹竿の目印を立てていく。登るにつれガス出て視界が無くなる、火打山頂では視界なくすぐ下る。
 火打から下る時、気が付くとI原さんが居ない、暫く待つと来たので、聞くと尾根から北斜面へ落ちたとのこと、怪我も無くて幸いでした。ガスの切れてきた斜面をスキーで一気にS藤さんが下っていく、続いて私もこわごわ滑る、大丈夫回転出来る雪質だ。
 天狗の庭や雪に屋根まで埋まった高谷池ヒュッテが良く見えるようになり、一気に大滑降で黒澤岳のコブを目指して滑る。雪は硬く締まって良く滑る。気持ち良かった。
火打山頂、S藤さん・I塚さんと自分。
火打ち山頂、石の地蔵さん。
I塚君、火打の直下で一時不明に、北側に落ちたそうな。
I塚君と、一時火打直下で不明に北側斜面を滑落したと云う。居ないと云ってたら戻ってきました。
笹ヶ峰にて
火打からスキーで笹ヶ峰まで降りて一息ついている所。
 山スキーも1980年(昭和55年)5月GWにF藤さんと双六から立山室堂へ抜けたことも有りますが又時間に余裕とHPに乗せたいような写真が出てくればアップするかも知れません。他にも23歳の頃に南アルプス北岳から光岳の縦走もしたっけがまだ生生しい懐かしさで自分の思い出にしております。


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