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H22年3月1日鈴鹿/藤原岳(頭陀ケ平)

春霞に煙る北部の霊仙他の山波、頭陀ケ平にて。
 もう3月に入りました今年はまだ節分草を見てない、時期がずれると見られない来年までお預けかもしれない。午後から天気は下り坂なので頭陀ケ平へ一人で行く事にする。登山道はすっかり雪も消えて歩くには差しつかえない、尾根の北になるのでまだ花の芽は何も出ていません。日差しが有る所を歩くとコゲラが木に留りシジュウカラが近くまで来て鳴く腹の赤い鳥も来てすぐ飛んでいく。
 鉄塔R200から頭陀ケ平(1143m)まで休み無しに登る、三角点に着くと御在所も南に見える北にはクジラの背中みたいな霊仙山が霞んでいる。晴れのち曇りの予報だが朝の内から水蒸気が多い。
 〇〇谷は上部は所々残雪も有り落石の音も聞こえる。日差しが当る南面の斜面には多く福寿草が咲いてます反対側の斜面はまだなのか黄色の色は見えず白い雪が3割程山を覆ってる。節分草今年も合うことが出来ました、ほっとするが個体数が少ない。
 
頭陀ケ平三角点と御池。
御池岳。
 白瀬峠登山口より木和田尾へ登り始める、初めの杉の植林帯は薄暗くて遠くに日が差している感じです。30分程で杉林を抜けて登山道を行く足元は枯葉を敷き詰めたようでガサゴソ。日差しが有る所を歩くとコゲラが木に留りシジュウカラが近くまで来て鳴く腹の赤い鳥も来てすぐ飛んでいく。登山口に車が2台停めて有りましたが頭陀ケ平の手前で1名の登山者にすれ違う、私より年配の白髪の方でした。鉄塔R200から頭陀ケ平まで休み無しに登る、三角点に着くと御在所も南に見える北にはクジラの背中みたいな霊仙山が霞んでいる。晴れのち曇りの予報だが朝の内から水蒸気が多い。遠くの山は何処も紗の中で近くしか形は判らないです。
尾根から一段降りた所で昼食、まだ残雪多し。
 頭陀ケ平に着いて一度座り込むが風が無く暖かいと感じたが、弱い西風が吹いている食事すると寒くなりそう。尾根を北へ下り残雪の斜面をシリセードでくぼ地へ下がる。尾根の下なのでここは風も無く快適です、お日様がもう雲の中で見上げても眩しくなくて日差しは弱い。
 冷蔵庫の残り物・竹輪を摘みにビールを飲む。ズボンのまま滑ったのでお尻が冷たい。
福寿草①。 節分草
 ○○谷は上部は所々残雪も有り落石の音も聞こえる。日差しが当る南面の斜面には多く福寿草が咲いてます反対側の斜面はまだなのか黄色の色は見えず白い雪が三割程山を覆ってる。
 節分草も多分何処かで咲き始めてないかと探して岩の浮いた斜面を登ります。注意して歩くのですが歩くとどうしても自分が石を一つ~二つと落とす。今日は下に人が居ないので何処でも歩けるが土日は下を人が通ると危ないと思う。まれに谷の反対側でも落石の音がする、見上げても人も動物も姿が無い今日は風が弱いのにも関わらず落ちる前日の雨で緩んでるのか。お目当ての花を見つけて写真を撮ってると四十雀が来て鳴き交す何時までも警戒してるのか離れない。節分草今年も合うことが出来ました、ほっとするが個体数が少ない。生物多様性と云われていますが人が山に入ることで減っていくのですかな~。
 
福寿草②。
節分草①。
福寿草背丈が幾分伸びました。
蛇足ながら:今朝のNHKラジオのさわり~脳と心の関係は、“たいまつ”と“炎”のような関係といわれました。
周りを明るくするためには、たいまつに大きな火が燃えるようにならなければならず、たいまつ自体が太くないといけません。喜びや悲しみなどの感情の仕組みを持っているのが“心”で物体にはあまり意味がありません。
 一般的に、思い出すことの80%はイヤな事だといわれています。人生の経験が長い人ほど多くの嫌な想い出が多く思い出されます。悲しみや憎しみ、辛かったこと、嫌だったことなどの感情で心がいっぱいになってしまうと脳の健康のためにも良くありません。感情は自分の心で上手にコントロールする事が心を穏やかにするコツなのです。マイナスな感情が心に浮かんだら、意識的に楽しいことや嬉しいことを考える様にしたいものです
 また心は自分でしか良いのか良くないのか決めれれない。ということで山を歩いていても楽しっかた事うれしい事を主に考えて歩きます今日は足も良く上がる。嫌なことは思い出さない。困った事は起こらない。

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