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会の例会、今回はJR・青春18キップを利用しての小旅行となる。目的地は滋賀県・賎ヶ岳、天正11年(1583年)羽柴秀吉と柴田勝家によって戦国時代に合戦が行われた場所です。約430年前の戦国時代の跡を歩く。 コース概要は会のお知らせより借用すると、余呉駅から賎ヶ岳は4.3km。賎ヶ岳から木之本駅は4.8kmである。 天候は晴れ時々曇り。メンバーは女子11名男子6名の計17名です。 山頂からの景色は中々いいです、琵琶湖に余呉湖、湖西の峰々東には伊吹山と小谷山。 それと木之本側の登山口に熊注意の看板出てました、登山道はイノシシの痕跡だらけです。大きいのが居る様子です。 |
尾張一宮駅を7時16分発。土曜日の米原行きの為と朝この時間帯はこれ1本だけなので電車内は混みあっています。運良くおじさん達はバラバラでも座れました。岐阜と大垣でも結構乗ってきます。尾張平野は朝から快晴でしたが、電車が関ヶ原へ掛ると車窓の外の景色は黒雲が出て来ました。我々は米原で敦賀行きの普通電車に乗りまえます。多くの人は急ぎ姫路行きへと乗込む。 敦賀行きは乗客がまばらな車内になります。ゆったり全員座席へ座る。木之本駅を過ぎて次の駅余呉駅で電車を降りる。 |
余呉駅~中川清秀墓:準備とトイレを終えて出発、アスファルト道から登山道へ入る。入口には大きな看板が有って登山道は判りやすい。F会長さんは今日はお休みなので、Yさんを先頭にゆっくりと歩む。江土登山口、直ぐに鳥居と鐘つき堂が有る。登山道(ハイキング道)は1間も有って広くてなだらかです。昔は軍馬も通ったと思われる程にゆるやかな道がずっーと続く。主に植林されてるが時々は自然林もはさんでいる。 30~40分も歩くと大岩山、中川清秀が砦を築いていた場所です。柴田勝家方武将の佐久間盛政に攻められ激戦の後に首打たれた所也。 ここは中川清秀の墓が有ります。ここで小休止、大木が有るのです・多分桜の樹肌ですから桜のしては太いかな? 中川清秀墓~賎ヶ岳:植林帯の道を歩きだすと直ぐに猿が馬場、猿こと羽柴秀吉がここで戦の指揮をしたので名が付いたと書いて有る、次々と史跡が多いです。その後戦場が余呉西岸へ移ると賎ヶ岳へ指揮所を移したそうな。賎ヶ岳まで上がると余呉湖が良く見えました。 中川清秀の首を洗った首洗い池とかもあります。下へ50m程下ると水が湧いてるのかな? 自然林の先に小高い丘が見えます、あそこが山頂かなと話してると道が今までよりやや急坂になります。道はゆったりとした電光型に登っていく。暫く歩くとまもなく賎ヶ岳山頂です。 |
山頂:ベンチで3名のハイカーが食事中なり。ベンチも有ってテーブルも有る、琵琶湖が良く見えます、竹生島。東には雲が山頂に掛る伊吹山、手前にこんもりとしてる小谷山、小谷城が有った山です。眼下には余呉湖が良く見えます。白いのは氷かな? 我々もベンチに座り何時ものように宴会です。卵焼き2種、レンコン、スルメのピリ辛・ウインナー~ハム、デザートのりんごにブドウ。他にも沢山頂いきました皆さまに感謝の日です。 但し山頂のトイレは冬季閉鎖中でしょうか、ドアがあかないように処置がしてありました。 |
賎ヶ岳~木之本:登山道はイノシシの痕跡だらけです。大きいのが居る様子です。私の手袋と同じ程の獣の足跡が有りました、これがイノシシなら100キロ超でしょうか? 階段状の登山道を降りて行くとリフトが有ります。今はリフトは営業していませんリフトの所で左折します。ワイヤーの下を通ったりして下山していく、登山道は前よりは狭くなりますが、ジグザグに付いて歩きやすいです。 植林帯の暗い道を歩く、右手はリフトのワイヤーが続いています。リフトの始点を通ると登山口でした。 北国街道を辿り木之本駅へ向かう。 駅に到着したがまだ電車には早いので北国街道の街並みを散策に行きます。 |
参考コースタイム:余呉駅9:15~9:55中川清秀墓10:05~11:15賎ヶ岳12:15~12:50リフト乗り場12:55~木之本駅14:00 歩行数 14577歩 |