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1983年ネパール写真集A(2014年一部修正)

 31年前のネパール旅行。写真が少しセピア色写真になりかけている。2001年と比べて町の車も少なかったし。始め食事にハエが群がり手で追っていたが3日もすると飛び回るハエにも慣れた。

 4月27日Chhomrong(チムロン)〜Himolaya Hote(lヒマラヤンホテル)トレッキング5日目:5時半起床アンナプルナサウス・ヒンンチュリを写真に撮るマチャプチャレは逆光で撮れません。チムロンコーラまで下り吊橋を渡る、対岸よろ登りが続く。崖一か所崩れて切れ落ちてる。辺りはラリーグラス(石楠花)が満開。雲の間にマチャプチャレと無名峰。
 Kurdi Ghor(クルデイーガハル)でお茶、その後昼食となる。終わるころにはすっかり雲が出ている。後雨降り始める。竹林笹竹の中を行、抜けるとデブリでモディーコーラの崖の上を歩く、滝も有る。デブリを越えるとヒマラヤンホテル、前にテントをポーターが張る。
 5時頃雨上がり谷の奥にアンナプルナVだろうが見える。
チムロン村の佇まい何故か日本の田舎の風景みたい。ガンドルン景色。 ロッジで一休み昼食、主にカレー・ミルクテー。Kurdi ghar(クルディーガハル)のバッテイロッジ。
シャクナゲの大木 対岸の耕作地段々畑が日本みたい。
ヒマラヤホテル上部氷河の一部が出てくる。
マチャプチャレBCよりアンナプルナサウス雲が湧いてきた。。
 4月28日Himolaya Hote(lヒマラヤンホテル)〜Machh BCトレッキング6日目:快晴後霧。5時目醒めるがシュラフの中でグッモーニグと声が掛るのを待つ。5時半起床コーヒー・ビスケット、少し寒い。竹林の中を1ピッチ歩くとヒンコ、マチャプチャレの尻尾が真上に有る。直ぐに左からデブリ凍って滑り易い、ヒンコから1ピッチでバッテイホテル。Gangpuruna(ガンガプルナ)が谷奥に聳えてる。
 再び大きなデブリを越える、土は消えてお大方は雪の上を歩くようになる。ポーターは土の上では素足で歩いていたが今はズック靴を履いて歩いている。サーダーからビスタリ・ビスタリと声が掛る、谷が広く開けた所にHotel SnouView。名ばかりホテルで竹を編んだ屋根壁、主に西洋人トレッカーが泊ってます。テントが無いポーターも泊ってる。
 ガスが昇ってくる、昼食。マチャプチャレ側で落石の音、テントピーク側でも大きな音がする。外人トレッカーの話声と水の流れる音がする。

 テントピーク・エクスベデションの日本人1名とシェルパ下ってくる。話:ルートを間違えて氷河の台地上で撤収とのこと。本人は自覚してないが高度疲労の為か?帰路転倒し右首を痛めたとのこと。大阪の人で会社を辞めてアタックしたとのこと。サロメチールを貸す。シェルパが話の最中も毅然と立ってるのが心に残る。夜中月と星。
マチャプチャレBC、ロッジは横は岩だが上と横は竹の編んだもの。
BCでは写真と撮り終えるとすることが無い後は当時のロッジ竹を編んだ屋根に壁。
マチャプチャレを下から仰ぎ見る。高度が凄く高く感じます。マチャプチャレを下から仰ぎ見る。高度が凄く高く感じます。
4月27日朝アンナプルナBCへ向かって高度を上げる。 アンナプルナT峰

アンナプルナBC付近でポーズ下は氷河、寒いです。

チムロンでキャンプ
チムロンからアンナプルナサウスとヒウンチュリ。 山が高いアンナプルナサウスとヒウンチュリ。
放牧地で草を食む牛。 村の少女
ダンプスの夜明け、アンナプルナに陽が当たる。  4月30日Himolaya Hote(lヒマラヤンホテル)〜チムロン:
 トレッキング八日目。曇り後時々晴れ後雷雨。
5時45分起床7時出発、今朝は早くから雲多くすっかり山を隠してしまう。
テント生活も歩くのも少し疲れてきたようだ。バッテェまで1ピッチマチャプチャレの頭が見える。Namasute loogeトイレ下痢気味。次は竹藪の中のロッジバッテェまで、先日と同じように竹の皮をククリで剥いでる青年が庭に居る。これでドッコ(背負いかご)を作るんだそうです。
 HIMARAYA LOGEで昼食。来る時登り坂でラリーグラスが満開だったが少し盛りを過ぎたようです。雲行きがあやしい1ピッチでバッティ午後1時頃より雷雨。ヒウンチュリが見えるが雨降り出す。
 チムロンANNAPRNA LOGE2時着、前にテント。雨止んだり降ったりして夜になる。

 前のヒウンチュリ・ロッジの人は不在。ポータ達はトランプゲームに暮れる。
 ろうそくとヘッドランプ、ロッジ内で石油ランプを灯す物凄く明るい、電灯は来てるけどろうそくぐらいの明るさだ、日本の豆球の灯狂いの明るさ。
ダンプスの子供達 ダンプスからアンナプルナの山々
ロバの隊商@ ロバの隊商A
ロッジの屋根からマチャプチャレ スワヤンボードナート(目玉寺)
クマリ(カトマンズの生神様)絵葉書より  5月1日チムロン〜ガンドルン:トレッキング9日目:雨後曇り後晴れ。6時起床7時出発。
 ポーター・ミラー君(皆の中で一人だけ鏡を持ってる)が一人だけ帰る。夜明け前から雨が激しく降り、山は雪線が下がりでサウスやヒウンチュリはガスに煙ってる。学校を過ぎて振りかえると雲が少し上がり雪線がはっきりと付いてる。下のモディーコーラの水音が間近に聞こえるから又雨だろう雲流れるのが早い。
 牛が落ちて大ケガをしてる、角が折れてる。水牛が多い。Kumronキムロンコーラで昼食。川を渡って尾根の上まで2ピッチ、石畳の道から外れると蛭ばかり。石のベンチの縁も蛭が付いてくるので、村の女性が蛭だよとを教えてくれる。気ずかず居たので真ん中へ座りなおす皆はまだ登ってこない。マチャプチャレが雲間に姿を見せる。 谷の奥は深い雲に覆われて暗い。
 Gandrong Shanti hotelのテント場へ。カッコウが直ぐ側の木の上で鳴いてる。
 村人は貧しいながらも助け合い暮らしてる。千枚田の労働は厳しく辛い、見てると朝早くから日暮れ近くまで農作業する人、婦人の姿も多い。ネパールでは太った男も女も見かけない子供は勿論大人も手足が細く平均寿命も短い(当時)。ヒマラヤを眺めながら千枚田を耕して一生を送るのも良いのかも。
 カレー料理には食傷気味だがコックが鶏を一羽つぶす、首を落とし洗面器で羽根を毟る。
 チキンカレー鳥の足1本ずつと胸肉を食べる久ししぶりのたんぱく質。サーダーは内臓入りのカレーで我々用のカレーだから辛味が足らないのか青唐辛子をかじっては食べる。
 ポーター達は皿に2杯3杯とカレーを大盛に掛けて平らげてる凄い食欲です。
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 ネパールは都合4回行ってますが都度クマリ館へも足を運ぶもまだお出ましは無い。
 日に2度程窓に姿を現わされるそうな、日本食堂で隣だった親子が初めて来てお出ましに行きあったそうで凄く感動して居られた。
 クマリ:カトマンズの生神様、幼い少女が選ばれて親と離れて神様を務める、パタンにもパタンのクマリが居るんだそうです。初潮が現れると次の女神様に変わる。大震災に見舞われた日本にも御すがり出来る神様が居ますか?
 生神様あなたの町にも居ますか・まれに家に居る方も?。今私には・・・は全然居りません。
 夢はまだ残ってます、雨季(6月〜8月)のランタン谷はU字谷全体にお花が一杯咲くんだそうですが、途中のトレッキングは雨が降れば蛭がウジャウジャ出るんだそうな、それでも行きたいのかいと自分に問いかけて居ります。

 山の友人に将来寝たきりになったら、自分の山の写真を見て涙を流すと言った方が居ます。介護関係に詳しい友人が言うのに、入所者や寝たきりの人が昔の写真やアルバム(自分は山)を見ることは皆無だそうです。見るのは孫や家族の写真だそうです。えーならインタ−ネットへ残しておけば画像をタブレット等で見れるかと愚考してます。
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