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6年1月14日菩提山

 垂井町の知る人ぞ知る軍師竹中半兵衛居城菩提山城跡へ行く。山登りと城跡見学一石二鳥の山を楽しんだ。びっくり驚くな大分昔のままに残っているそれと規模が大きい。
  菩提山。登山と山城跡の探索一石二鳥で山を二倍楽しんで来ました。確か配下の武士の数多くなかったののでは?(小説等では)規模が大きくて凄い。城跡登りは急坂ばかり丸太の階段の連続。 
 結構キツイ足アガランのでゆっくり歩く。途中ここから山城跡と有り。竪堀(タテボリ)跡とか大堀切とか三の曲輪・四の曲輪に台所曲輪とか出て来ます生活感有るのです。半兵衛さんがここにお住いの時に秀吉公当時は木下藤吉郎が訪ね面会、部下になってと勧誘したのが小説等の筋です。歴史のロマンを感じて楽しい1日良い日でした。  
 麓の町に白い櫓門が残っていまも野面積の石垣が古い。ボロボロ石垣でも歴史が残ってる。

 案内板によると父竹中重元が永禄六年(1558年)岩手氏を攻略。岩手付近と長松(大垣)を合わせ六千貫を領す。
 家来の数?江戸時代の兵数は50石で1名。六千貫は石に直すと一万二千石、五公五民だと二万四千石を領す。50石で割ると480人の武士・足軽の家来が居たことになる凄い。軍役の為に雇わないといけないそうです。グーグルで調べて判ったこと。
 天候:晴、暖かい。風は1~2m。日陰では昨日降った雪が砂糖をマブシタように時々残る。地面は濡れて丸太階段はうっかりすると滑る。ツルッと。
 竹中半兵衛重治公が播州三木城攻めの最中亡くなった後、息子の重門公が菩提山城から下りて麓に陣屋(城)を築き山城は使わなくなった、櫓門の西に1636坪の陣屋跡が有ったそうです。明治政府は「幕府建造物破却命令」で櫓門を取り壊せと通達。当時は菁莪義校セイガギコウ(岩手小学校前身)の正門として使っており、高橋屋八郎氏等が櫓門は学校の正門として使ってる強く文化的保存に尽力された。
 今回初めて山へ登って判ったことは白山神社よりの登りは急坂の連続で大変だった。
 帰路は大手道の方から下山。斜度も緩やかで歩きやすい登山道でした落葉が積り濡れて滑りやすい。しかし全般大手道の方が下りは歩き良い。昔は途中まで馬も上がれるのかな。金華山の大手道と斜度が似てる。
 御嶽さんは池田山の尾根に隠れて頭しか見えない少し残念。右に目をうつすと中央アルプス、更に右奥に南アルプスが見える。おそらく塩見岳と北岳が見えてると思う。手前の山の上にポチッと城が見える金華山です。
スライドショー

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